プロフィール

純平です

はじめまして、こんにちは。

ブログ管理人の純平と申します。

 

日頃はITエンジニアとして働く、週末テニスプレイヤーです。

また、2歳になる長女がいる父親でもあります。

ブログを通して伝えたいこと

雑記ブログですし、基本的には書きたいことを書いているのですが、
これは伝えていきたいなという3本の軸みたいなものはあります。
それが、

  • フリーランスエンジニアという働き方があることを知ろう
  • 仕事を好きな事に寄せていこう
  • 自分の人生は自分で決めよう

です。

フリーランスエンジニアという働き方があることを知ろう

経済力って大事です。お金さえあれば、大抵の悩みや問題は解決できると言われますが、それは間違いないです。

 

逆にいうと、お金に余裕がなければ、例外なくお金に人生を支配されてしまいますので。
お金は二の次なんてカッコつけずに、やっぱり経済力をつける事にこだわることが大事だと思います。

 

その為の第一歩として、僕はフリーランスエンジニアとなることで収入の安定を目指すことはかなり良い戦略なのではないでしょうか?

 

正社員から常駐型のフリーランスエンジニアになれば、収入が倍になるというのは紛れもない事実で、フリーランスにならない方が割とリスキーなんじゃないかとも思っています。

 

ただそうはいっても、やっぱり経験したことが無いことなので、「本当に自分なんかがなれるのかなぁ」とか考えたり、不安になる事もあると思います。ブログでは自身の体験談ベースで、僕自身の実体験などを発信していきますよ。

 

僕の記事を読んで、フリーランスエンジニアを目指す人が増えたら嬉しいですね。

仕事を好きな事に寄せていこう

好きなことを仕事にするのは結構難しいです。

そんなことができるのは、世の中の1%くらいじゃないでしょうか?

 

でも、好きな事に寄せていくことは全然可能です。

僕の場合は、テニスが好きだから、テニスに関わる仕事を選んでみたり、プログラミング学習が面白かったから、Webエンジニアをやったみたりしてきましたが、やっぱり興味あることが関わっているので、仕事が楽しいって思う事も結構あるんですよね。

 

楽しいと前向きに取り組めるので、実力もついてきやすいですし。

もちろん、シンドイなってなる時もあります。でも、好きな事に近い事だと、ストレスなども感じにくいので、相対的にはやっぱり生きやすくなります。

 

人生の半分くらいは仕事に費やす人が多い中で、人生の幸福度を上げるなら、やっぱり好きな事に関わる仕事をすることにこだわるのは大事というのが僕の結論です。

 

また、実力がついて来れば、好きな事だけで生きる事だって不可能ではないですよね。

自分の人生は自分で決めよう

例えば、会社を辞めるのとかでも最初は怖かったりします。

 

僕も、最初は上司に辞めることを伝える時はかなり恐れていました。
でも、そんな恐怖なんて1日もしたら忘れるんですよね。
恐怖なんて、ただの感情ですから。

 

今の時代、職を失ったところで死にはしませんし、食えなくなるわけでもないので、そういった感情はゴミみたいなものです。
さっさと捨て去りましょう。

 

また、周りの人の意見とかも参考程度に考えるべきです。

なぜなら、人生に答えなんてないから。

どんな生き方をしても全部正解です。だったら、自分で気になることは片っ端からやってみて確かめればいい。

 

感情に左右されず、自分の考えをしっかり持ちながら生きていく様を、ブログを通して伝えることができればと思っています。

今までの経歴

このセクションでは、僕の今までの人生の物語となっています。

結構な長文となりましたので、時間のある時にお読みくださいね(笑)

 

だんじりの町、岸和田で生まれ育つ

小西 純平 (こにし じゅんぺい) 1989年 5月 16日生まれ

だんじりのまち、大阪府岸和田市にて、3兄弟の長男として生まれました。

 

きしわだはだんじり祭りの発祥の地で、こってりした大阪の文化圏の中でもさらに濃い文化のある町です。

岸和田で作られるカレンダーは9月で始まり、9月で終わります。

だんじりに始まりだんじりに終わる。この現代のネット社会の中で、だんじり中心の人生を生きる人が今でもたくさんいる、非常に熱い男たちがいる地域なのです。

そういった町で育った僕は、当然ながらだんじり文化の影響を受けてしっかりとだんじりオタクに育ちました。

 

3歳くらいからだんじりのビデオをアニメを観るくらいのノリで観ていたと両親に聞いております。

 

保育園では三輪車に綱(紐)をくくりつけ、三輪車を引き回すという遊び(だんじりごっこ)が大好きでした。

 

無茶をして、コンクリートに頭をぶつけてしまい、頭を縫ったこともありましたね。

 

そういった英才教育を受けた結果、だんじりの顔や鳴り物の音を聞けば、どこの町のだんじりなのかを当てることができるという特殊な能力を持ち合わせるほどのだんじりオタクになることができました。

 

紙屋町画像
やりまわし画像

岸和田祭りのイメージ

負けず嫌いのオタク気質だった小学生時代

僕は、好きなことについてはトコトンハマるオタク気質なところがあります。

 

小学生のころはスポーツが好きで、学校の休み時間はひたすらドッジボールに明け暮れる少年でした。

 

朝の学校が始まるまでの時間も、10分休憩の時間も、ひたすらドッジボールをしていたので、そのおかげもあって運動神経が飛躍的に伸びました。

割と小学校の頃って運動できるだけでもモテるじゃないですか?ということで、この頃が僕のモテ期のピークとなりました。(笑)

 

ちなみに、将来の夢はプロ野球選手で野球大好きでしたが、なぜか習い事はサッカーでした。

 

 

小学校の一番の思い出は、マラソン大会です。

冬の寒い時期に行う1500メートル走なのですが、2年生から4年生までなんと三連覇していたのです。すごくないですか?(笑)

 

しかし、4連覇がかかった小学5年生の時に運動神経抜群の転校生Y君が現れ、2位となり相当悔しい思いをしました。

オタク気質で負けず嫌いな僕は、その悔しさをバネに来年(6年生)は絶対勝つと誓ったのです。

 

6年生になりマラソン大会の時期になると、学校の休み時間はひたすらマラソンのトレーニングを行いました。

また、毎日冬の寒い時期に朝6時に起きて、まだ外は日も出ておらず真っ暗の中トレーニングを行ったりしていました。

 

何としても転校生Y君に勝つために、できる限りの最善の努力をしました。

別に勝ったからといって何か貰えるわけでもなかったのですが、ただただ勝ちたかった、負けたくなかったのです。

 

両親もドン引きするぐらいの熱の入れ方でした。

 

そして、本番のマラソン大会に臨みましたが、Y君の天性の才能には勝てず、2年連続の2位となりました。

 

どんなに努力しても報われないこともあると、小学生のうちから学ぶことが出来ました。

中学でもオタク気質を発揮

地元の中学にそのまま入学。

 

この頃は勉強すればテストの点数が上がることが楽しく、学校の勉強を頑張っていましたね。

自分でテストに出そうな問題を自ら作って問いたりしていました。はい、勉強オタクですね。

 

そのおかげもあり、中学1年の3学期末のテストは、塾とか通信教育とかにお金をかけず独学で学年1位になりました。

努力はやり方次第で報われることもあると学びます。

 

ただ中学2年のころ、父親に勉強を強制させられたこともあり、このころから学校の勉強しなくなってしまったので、中一が学校の成績のピークでしたが。

 

一人で何か黙々と打ち込むのが好きで、あんまり人に言われすぎると反発してしまう厄介な性格だったのです。

全く勉強しなかった高校時代

高校に入るとだんじり祭りを運営する団体(青年団と呼ばれる)を掛け持ちしたり、サッカー部に入ったり、彼女が初めて出来たりと充実した高校生活を送りました。

 

しかし、やることが多く忙しすぎた事もあり、物理的に学校の勉強がおろそかになってしまいます。自分でも極端な性格だと思いますよ。めちゃくちゃやったりやらなかったり。

 

成績は常に最下位争いを繰り広げていました。進学校だったので、ちょっと凹みました。

 

 

青年団というのはあまり想像しにくいと思うので、少しどんな団体なのかを説明しておきたいと思います。

青年団とは、だんじりの引き手を担う各町ごとに組織される鬼のように体育会系の団体です。

 


この動画のように、だんじりの前で綱を曳いて(引っ張って)いるグループが青年団という団体です。

 

高校入学の時期に、同級生数人と青年団の門をたたくのです。

最初の関門は新団歓迎会という寄り合い(集まり)。

 

新団歓迎会のメインは、イカツイ先輩青年団の大人たちの前で、一人ずつ大声で自己紹介をして、終わったら注がれたビールを一気飲みするというイベントです。

 

高校1年生なので、がっつり未成年ですが、そんなのきしわだの人たちには通用しません。

 

他にも注がれたビールは「頂きます!」と叫び一気飲みとか、部屋に入るとき、出るときは大声であいさつとか色んなルールがありました。

 

また、青年団の花見というイベントは、若手が何か余興的な芸(芸人がやる感じのやつ)をしなければならない決まりもありました。

 

16歳になったばかりの青年がいかつい大勢の大人の前で、しかも花見という他の人もいる中で何か芸をしなくてはならない。

 

死ぬほど嫌でしたが、だんじりを曳くためには通らなくてはいけない道だったので、気合で乗り切りました。僕は芸人にはなれないことを知れましたね。

ちなみにほとんどみんなスベります。

 

だんじりが好きという理由だけで、そういう団体に2つ入っていたんです。

集団行動の苦手な僕はだんじり以外のイベント(花見、ソフトボール大会、盆踊り、運動会、町内清掃、夜警)は本当に嫌でした。

でも、好きな事やりたい事のためなら割と我慢できてしまうものなのです。

 

青年団は、合計4年間続けましたが、この後大学でテニスにハマった為、辞めてしまいました。

辞めるということはだんじりを運営する団体とは一生関わらなくなるということを意味します。

 

好きな祭りには参加できなくなりましたが、辞めたことで違う世界も見えてきたのです。

大学でテニスにハマりすぎる

19歳の春、1浪の末関西大学システム理工学部に入学。(高校はほとんど勉強していませんでしたので当然浪人しました)

たまたまテニスサークルに入ったことで、テニスオタクとなったのです。

 

理系の学部だったのですが、研究室もサボってテニスをしてました。(お母さんごめん)

 

サッカーは9年やってましたが、テニスのような個人競技は初めてだったので新鮮でした。自分次第で勝ったり負けたりするのが楽しかったですね。

そんなこんなで、次第にテニスに熱中するようになります。

 

当時、関西大学はテニスサークルがかなり盛り上がっていたので、テニスを始める環境としてはとても良かったのだと思います。試合も毎週出てたりしていました。

 

関西地区のサークルの公式試合で結果を残し、フレッシュ(大学から公式テニスを始めた人をフレッシュという)限定の全国大会に出場したりもしました。

 

結果が出たこともあり、よりテニスを好きになっていきました。

テニスコート(クレー)

もっともっと上手くなりたいと思い始めた僕は、大学4年でみんなが就活に精を出す頃、アルバイトのテニスコーチを始めるようになります。

 

ただ、試合で勝てるようになったといっても所詮は大学生からテニスを始めたド素人ですので、最初の頃はテニスコーチとしての必須のスキルである球出し送球も出来なければ、うまくしゃべることも出来なかったので苦労はしました。

 

しかし、青年団で身につけた度胸と、テニスが好きという情熱に支えられ、少しずつ上達していきました。

 

大学卒業が近づくにつれて、テニススクール関係の仕事を探し始めます。

実際に、大手のテニススクールで正社員の面接を受けたのですが不採用となりました。

最終的には、アルバイト先のスクールで業務委託として働くことになります。(ただのフリーター、かっこよく言えばフリーランス)

 

親には反対されましたが、意思は変わらず。

最終的には親も納得して認めて貰えました。(よく理解してくれたなと思います)

 

ちなみに、理系私立大学に通わせてもらった学費は、ほとんど無駄になってしまわれました。
この頃はお金の価値が全然分かっていませんでした。
(高い学費を払ってもらった親には、感謝しかありません。)

 

僕はというと、好きなことで働ける事にワクワクしてました。

 

大学卒業後は、テニスコーチで3年働く

テニスに関わる仕事ができたことについて、良い経験となり良かったのかなとは思います。

人生は一生に一回ですからね。

 

もし、テニスコーチをしたいという気持ちを抑えて普通に就活して一般企業で働いていたら、色々後悔していただろうと思うんです。

 

週6勤務のシフト制で、休みはお盆と正月だけでしたが、好きなテニスが365日学べる環境だったので、非常に充実していました。

 

テニスの書籍やネットで調べたことを、自分の技術にして、レッスンでも使えるネタにする。

尊敬する先輩のレッスンを見ながら、良いところを盗む。

表現力とか、技術とか学ぶことは多くありました。

 

またテニスコーチは体力仕事、肉体労働なので、フィジカル的にもきつかったですが、自分の成長を日々感じる事が出来、夢中で仕事を頑張れました。

 

クレームが出てしまったり、会員の継続率が悪かったりして、大変なことも多かったのですが、それよりも自分自身が人と人とのコミュニケーションであったりとか、伝え方であったりとかが上達したりして、上手くレッスンができるようになると、面白いと思うことが増えていきました。

 

 

 

人生のどん底を味わう

しかし、ここから人生のどん底を経験することになります。

 

26歳の夏、テニススクールの正社員となり2年ほどたった頃、5年付き合ってきた彼女との結婚しました。

 

結婚したことで、メンタル的な変化がありました。

 

漠然と将来のことが不安になりはじめたのです。

 

また、出来ることが増えてきたことから仕事量が膨大に増え、無理をしすぎてキャパオーバーとなっていて、キツかった事もありました。

 

そういったメンタル的な要因と体力的な要因が重なって、精神的に参ってしまったのです。

 

でも、この頃の僕は、自分が仕事を休めば他の人に迷惑がかかると思い、何とか持ちこたえようとしました。

 

自分はテニス関係の仕事につきたくて今の仕事を頑張っていましたが、

「辞めて他の仕事に転職する道だってあるんじゃないの?」

と今の生き方に迷いが出はじめたり、

「自分の決めた道ならそんな簡単に諦めてたらどんな仕事だってダメなんじゃないか?」

と自分を責めたり色々悩みました。

 

悩みすぎて出勤するとき涙が止まらなかった事もありました。

疲れすぎていて、軽いうつ状態になってしまっていました。

 

 

 

そしてさらに一か月悩んだ末、どうにもならなかったので辞めることを決意。

この時辞めるというだけなのに、なかなか言い出せなかったです。

本当にこの世の終わりかと思うほど精神的に追い詰められていました。

みんな頑張っているのにみんなを裏切る行為なんじゃないかって・・・

 

最終的には、直接上司に会社を辞めたいということを伝えることが出来ました。

退職を伝えることが出来た時、少し気持ちは楽になりなんとかメンタルも持ち直しました。

結局は辞めると言ったのち、4か月後に退職することになります。

 

ホントはもっと早く辞めたかったのですが、代わりが見つかるまでの間まで先延ばしになりました。

 

精神的にギリギリだったのに、辞めさせてくれなかったのです。

この時の4か月はめちゃくちゃ長かったです。

 

そういった、ギリギリの精神状態の中で、さらなる事件が起こります。

それは、結婚をきっかけとした親戚の金銭トラブルでした。

 

詳しくは書けないのですが、韓国ドラマっぽいドロドロの身内トラブルでした。
僕にも隙があったことは否めません。完全に未熟だったと思います。

 

僕の側の親戚については、完全にお金に支配されてしまっており、

もう全く話は通じませんでした。

僕がイエスというまで、ヒステリックにずっと詰められっぱなしでした。(お金を盾に)

 

この時は、人生の中で一番辛かったです。(新婚なのに・・・)

 

精神科にいったら完全に鬱と診断されました。

さらに嫁も巻き込んでしまい、新婚早々に鬱カップルとなってしまったのです。

僕にお金の知識がなさすぎた為に、お嫁さん側のご家族には相当のご迷惑を掛けてしまいました。

 

この一件から、結局世の中の人のほとんどは金の亡者でお金に支配されて生きているんだなということを強く意識することになります。お金は人を変えてしまう力ほどの力があると。

 

最終的には僕の母親に金銭的に助けられ、僕の方の親戚と距離を置くことで半年くらいかかって解決しました。(母親がいなければ、今の僕は無いと思っています)

 

結果、父親とは縁を切りましたが、僕に経済力さえあればそれを防ぐことは可能でした。

 

結局のところ、お金で解決できる問題でもあったからです。

 

でも、月20万ほどの手取りで生活する僕には、そういう力は当然ありませんでした。
無力さを痛感しました。

 

未経験でIT企業に就職する

働けるかどうかギリギリの精神状態でしたが、8月に子供が生まれることが決まっていたこともあり、休むわけにはいかない状況でした。

 

27歳の夏、まともに就職活動をしたことがなかったし、かつ精神も病んでいた中での就活が始まったのです。

 

精神的に不安定だったことと、前職テニスコーチというつぶしの効かなさそうな感じもあり、次の仕事はどうなるか不安でしたが、転職エージェントや転職説明会を利用し、意外とあっさり未経験で正社員として雇われることになりました。

 

IT企業を受けた理由は手に職つけられそうだし、未経験でも採用してくれるところがあると聞いていたからです。本当にありきたりな理由ですよね。

 

適正テストと面接2回ありましたが、PCスキルは評価基準になかったようで採用されました。(運が良かったと思います)

 

転職ってこんなにすんなり決まるものなのかと軽いカルチャーショックでした。

 

 

社内で1か月研修の後、業務システムの開発チームに配属されます。

 

お客様先に常駐して、社内システムを開発する仕事です。客先常駐(SES)ですね。

 

実際、未経験で入ってテキストエディタとかブラウザとか、そういった単語すら怪しいレベルで常駐先に派遣されましたが、実際は議事録やドキュメントの修正など、簡単な作業を振られたりしながらだったので、想定していたほど大変ではありませんでした。

 

優しい会社の先輩などに助けられ、何とかメンタルも持ち直し、業務の中で少しずつITの知識を蓄えていった時期ですね。

 

ITの知識を身につけようと勉強するために、Progateドットインストールといった学習サービスを利用したりしました。(この頃、基本情報処理試験の勉強もしていましたが、面白くなさすぎて挫折しました。)

 

この頃、HTML・CSSといったフロントエンドの知識やサーバーサイドの言語(PHP、Ruby)という存在を知りました。プログラミングを学習する中で、次第にWebの技術に興味を持つようになっていきました。

 

Webエンジニアは、クラウドソーシング等でリモートワークをしている人もいる事、技術があればフリーランスで月60万稼ぐ事も可能である事なども調べました。正直本当なのかなと思いましたが、じゃあ確かめてみたらいいじゃないかという結論に至ります。

 

今までの経験より、お金も大事なもので妥協するべきでは無いこと、また、娘が生まれたことで家族の時間も大事にしたいと考えていた事もあり、

経済力とプライペートの両方を手に入れられるWebエンジニアは、僕にとってすごく魅力的に映りました。

 

この時、Webエンジニアになるために即行動に移しました。

テニスコーチを辞める時の決断に比べ、この時の決断は早かったですね。

 

辞めるのであれば出来るだけ早く環境を変えた方が良いと、前職の経験から学んだからです。

Webエンジニアとして働く

今回の転職ではWeb系の開発ができる会社に就職するため、1ヶ月プログラミングスクールに通ってから、転職活動をする事にしました。

 

そして、派遣会社であるパーソルテクノロジースタッフの紹介予定派遣ですぐに就業することが決まりました。

 

最初はHTML・CSS、その後、PHPというプログラミング言語を触る機会を得ることができて、一応転職としては希望通りうまく行きました。

 

日々コードを触れる環境にいるとやっぱり技術は伸びやすいし、成長していくことが実感できたことで幸福度も上がりました。

 

ただ、やはり金銭面では明らかに不安でした。もう金銭トラブルに巻き込まれるのは絶対に避けたいので、スキルを磨いたら、稼げるフリーランスエンジニアに転身というのも意識しながら働きました。

フリーランスエンジニアとして働くことになる

2018年8月より、フリーランスエンジニアとして働かせていただくことになりました。単価は60万には全然届きませんが、それでも今までよりかなりの額を得ることになります。

業務経験1年そこらのエンジニアがフリーランスになることに対し、不安があったかどうかと言われると少しはありました。

 

ただ、Twitterや、やまもとりゅうけんさんの人生逃げ切りITサロン内で、経験年数1年の人がどんどんフリーランスで仕事を受注していっている現実を知っていたので、多分大丈夫なんだろうなと思えるようになりました。(自分でもできるというマインドセットは大事です)

 

実際、正しい努力をして経験年数くらいの実績を積めば、独立を果たすことは十分可能なのではと思いますよ。

 

人生のどん底からとりあえず飛び込んだIT業界ですが、最近はプログラミングを学ぶ事も楽しくて、日々前向きに取り組むことができています。

 

もっともっとITスキルに関してもレベルアップしていきたいと思いますし、経済的にも人間的にも立派な父親になれるように努力する所存です。

純平オススメ記事

Web系企業に1年間働いた経験をまとめた記事です。これくらいのスキルでもフリーランスエンジニアは目指せるんだよといった参考になると思います。

https://junpeko.com/first-year/

将来に漠然と不安を抱いているなら、下記の記事がおすすめです。

https://junpeko.com/job-change/

フリーエンジニアへのファーストステップとして、派遣エンジニアで働くのはかなりオススメです。
下記の記事は派遣会社を利用してWeb系企業に転職した記事です。

パーソルテクノロジースタッフに登録してWebプログラマーに転職した話

最後に

ここまで、プロフィール記事を読んでいただきありがとうございました。

最後に、僕の好きな本である夢をかなえるゾウの一節を紹介したいと思います。

「自分の『これや!』て思える仕事見つけるまで、もう他のもんかなぐり捨ててでも、探し続けなあかんねん。収入が不安定とか、恋人や親が反対するとか、そんな悠長なこと言ってる場合ちゃうで。仕事まちがえたら、それこそ一生棒に振ることになるんやで」

出典:夢をかなえるゾウ

自分に嘘をついて他人の意見に流されることは楽そうに見えて結構辛いことになりがちです。なぜならうまくいかなかったとき他人のせいにできてしまうからです。

逆に、自分のやりたい事を探し続けることって大変そうに見えますが、全部自分ごととして捉えることとなり、前向きに取り組むことが出来ます。

もちろん失敗したら100%自分の責任となるので言い訳せずに次の手を考えますよね。

自分の人生を自分でデザインしていくことはめちゃくちゃ大事ですよ。

今この瞬間から、やりたいことを必死になって探し続けることさえできれば、誰だって充実した人生を送れるんじゃないかって思いますね。

ご清聴ありがとうございました。

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