プロフィール

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だんじりの町岸和田で育つ

1989年、大阪府岸和田市に3兄弟の長男として生まれる。

僕の小さい頃はよくだんじりのビデオをよく見ていて、だんじりごっこが大好きだった。

また保育所のころだんじりごっこで無茶をして、頭を縫った記憶は今も残っている。

そう、岸和田という街は1年に一度の祭りを中心に回っている。

カレンダーも1月からではなく祭りの9月から始まり9月で終わる。

大晦日が祭りの前日で、正月が祭りの日という感覚を持っている人が多い。

そういう地域で僕は育った。

やりまわし画像

岸和田祭りのイメージ

負けず嫌いの小学生時代

スポーツが好きで、学校の休み時間はひたすらドッジボールに明け暮れていた。

朝の学校が始まるまでの時間も、10分休憩の時間も、ひたすらドッジボールをしていた。

めちゃくちゃハマっていた。我ながらよく飽きなかったと思う。

2年生から4年生まで学内のマラソン大会で3年連続1位となる。

だが4連覇がかかった小学5年生の時に運動神経抜群の転校生Y君が現れ、2位となり相当悔しい思いをする。

その時はめちゃくちゃ悔しく来年は絶対勝つと誓う。

6年生になりマラソン大会の時期になると、学校の休み時間はひたすらマラソンのトレーニングを行った。

また、毎日冬の寒い時期に朝6時に起きて、暗闇の中タイムトライアルを行ったりしていた。

何としても転校生に勝つために、できる限りの最善の努力をした。

別に勝っても何か貰えるわけでもなかったが、ただただ勝ちたかった。

今思うと自分でもドン引きするくらい負けず嫌いだと思う。

そして、本番のマラソン大会に臨むが、Y君の天性の才能には勝てず、2年連続の2位となった。

努力しても報われないこともあると知る。今となっては良い思い出になっている。

勉強でも負けず嫌いを発揮

地元の中学にそのまま入学。

この頃は勉強すればテストの点数が上がることが楽しく、学校の勉強を頑張った。

自分でテスト問題を作って解いたりとかもしていた。

塾とかは一度も行ったことがなかったが、1年の3学期のテストで学年1位となる。

勉強が趣味というちょっと変わったレアな学生だった。

しかし中学2年のころ、父親に勉強を強制させられたこともあり、このころから学校の勉強が嫌いになり始める。

一人で何か黙々と打ち込むのが好きで、集団行動とか、チームプレーとかが苦手だった。

部活ではサッカーをしていたが、チームプレーが向いておらず、ストレスはたまっていた。

テニスなどの個人競技をやっていればもしかしたら才能開花していたのかもしれなかった。

全く勉強しなかった高校時代

高校に入ると受験の反動か勉強を一切しなくなる。

少しずつ人生のレールを外れ始める。

このころ青年団というだんじり祭りを運営する組織(16歳から27歳ぐらいまでの年齢が集まる団体)を掛け持ちで2つ入った。

青年団というのはあまり想像しにくいと思うので、少し説明しておくと、だんじりの引き手を担うで各町ごとに組織される鬼のように体育会系の団体だ。

こちらはだんじり祭りの事故映像。

高校入学の時期に同級生数人と青年団の門をたたく。最初の関門は新団歓迎会という寄り合い(集まり)だ。

イカツイ大人たちの前で一人ずつ大声で自己紹介をして、終わったら注がれたビールを一気飲みする。

他にも注がれたビールは一気飲みとか、部屋に入るとき、出るときは大声であいさつとか色んなルールがある。

また、青年団の花見というイベントは、若手が何か余興的な芸をしなければならない決まりもある。

16歳で大勢の大人の前で、しかも花見という他の人もいる中で何か芸をしなくてはならない。

死ぬほど嫌だったが、だんじりを引くためには通らなくてはいけない道だったので、気合で乗り切る。

もちろんスベる。だんじりが好きという理由だけでそういう団体に2つ入っていた。

集団行動の苦手な僕はだんじり以外のイベントは本当に嫌だった。

でも好きな事のためなら我慢できた。

僕はだんじりの太鼓をたたく役(鳴物という)を担っていたが、一通りはこなせるようになったが結局は組織になじめなかった。

休んでいた時期もあったが、合計4年間で辞めてしまった。

辞めるということはだんじりを運営する団体とは一生関わらなくなるということ。

もちろん好きな祭りも参加できなくなったが、辞めたことで違う世界も見えてきた。

テニスにハマりすぎる

19歳の春、1浪の末関西大学システム理工学部に入学。

テニスサークルに入りテニス一色の学生生活を過ごす。

テニスだけに熱中するようになる。個人競技は初めてだったが、自分次第で勝ったり負けたりするのが楽しかった。

試合で結果を残し、フレッシュ(大学から公式テニスを始めた人をフレッシュという)限定の全国大会に出場し、準優勝する。

結果が出て、よりテニスを好きになっていった。

テニスコート(クレー)

どんどんのめり込み大学4年でアルバイトのテニスコーチを始める。

しかし試合で勝てるようになったといっても所詮は大学生からテニスを始めたド素人。最初のころは球出しも出来なければ、うまくしゃべることもできなかった。

しかし、テニスが好きという情熱に支えられ、少しずつ上達する。

この時就活は始まっていたが、テニススクール関係の仕事を探すようになる。

大手のテニススクールで正社員の面接を受けたが不採用。結局アルバイト先のスクールで業務委託として働くこととなる。

テニスに関わる仕事をしたいという気持ちを突き詰めた結果として新卒フリーランスのとなった。

周りに何と言われようと、好きなことを仕事することはできる事を証明したかった。

新卒フリーランス

23歳の春、新卒フリーランスとして好きなことを仕事にした結果は良かったと思う。

週6勤務のシフト制で、休みはお盆と正月だけだったが、好きなテニスが学べる環境だったので、非常に充実していた。

テニスの書籍やネットで調べたことを、自分の技術にして、レッスンでも使えるネタにする。

尊敬する先輩のレッスンを見ながら、良いところを盗む。

表現力とか、技術とか学ぶことは多かった。

またテニスコーチは体力仕事なので、フィジカル的にもきつかったが、自分の成長を感じる事が出来、夢中で仕事を頑張れた。

クレームが出てしまったり、会員の継続率が悪かったりして、大変なことも多かったが、それよりも自分自身が成長出来、仕事が楽しかった。

もし、テニスコーチをしたいという気持ちを抑えて他の企業に行っていたら、色々後悔していただろうと思う。

退職する

26歳の夏、スクールの正社員となり1年がたったころ、5年付き合ってきた彼女との結婚する。

しかし、ここから思ってもみなかった波乱の新婚生活に突入した。

このころ、テニスコーチの仕事がだんだん辛くなってきていた。

理由はいろいろあったが、出来ることが増えてきたことで仕事量が膨大に増え、睡眠不足から体を壊してしまったのだ。

特に精神的に相当参っていた。

でも、仕事を休めば他の人に迷惑がかかると思い何とか持ちこたえようとした。

しかし、同時期に身内の金銭トラブルに巻き込まれる。

実はこれが一番精神的に参った。

価値観の違いから来る問題だったが、何とか自分の気持ちを理解してもらおうとした。

結局それが間違いだった。

嫁とも自分の親とも上手くいかなくなった。

結局父親と事実上縁を切ることで問題を終わらせた。

他人の価値観は変えられないことをこの一件で学んだ。

何もかもうまくいかず、軽いうつ状態になってしまう。

この時は本当に辛い時期だった。

体を壊す前は仕事が大変でも辞める気なんてさらさらなかったが、いざメンタルが揺らぐと将来が不安になった。

軽いうつが入っていたのですべてがマイナス思考になった。

自分はテニス関係の仕事につきたくて今の仕事を頑張っていたが、別に辞めて他の仕事に転職する道だってあるんじゃないのか。

いやいや、自分の決めた道ならそんな簡単に諦めてたらダメなんじゃないかとか色々悩んだ。

悩みすぎて出勤するとき涙が止まらなかった事もあった。

精神的にもきつかったので、嫁に相談した。

そしてさらに一か月悩んだ末、どうにもならなかったので辞めることを決意する。

この時辞めるというだけなのに、なかなか言い出せなかった。

本当にこの世の終わりかと思うほど精神的に追い詰められていた。

上司に会社を辞めたいと報告した。

退職を伝えることが出来た時少し気持ちは楽になった。

辞めると言ったのち4か月後、退職する。

ホントはもっと早く辞めたかったが、シフトの関係で先延ばしになった。

辞めさせてくれなかった。

この時の4か月はめちゃくちゃ長かった。

未経験でIT企業に就職する

27歳の夏、まともに就職活動をしたことがなかったし、かつ精神も病んでいた中での就活が始まった。

精神的に不安定だったことと、前職テニスコーチというつぶしの効かなさそうな感じもあり、次の仕事はどうなるか不安だったが、転職エージェントや転職説明会を利用し、活動を始めたところ意外とすんなりIT企業に未経験で正社員として採用される。

IT企業を受けた理由は手に職つけられそうだったから。

適正テストと面接2回あったが、PCもまともに触れないやつが採用されたので驚いた。

転職ってこんなにすんなり決まるものなのかと思った。

1か月社内で研修の後、業務システムの開発チームに配属される。

お客様先に常駐して、社内システムを開発する仕事だ。

実際未経験で入ってテキストエディタとかブラウザとか、そういった単語すら怪しいレベルで入ったが、実際は簡単な作業を振られたりしながらだったのでそこまで大変ではなかった。

何とかメンタルも持ち直し、業務の中で少しずつITの知識を蓄えていった。

ITの知識を身につけようと勉強するために、ProgateDotinstallといった学習サービスを利用した。

ここでHTML・CSSといったフロントエンドの知識やサーバーサイドの言語にはじめて関わった。

このころから少しずつWeb系の会社に興味を持つようになる。

Webの会社ではクラウドソーシング等でリモートワークをしている人も多いと聞く。

また、技術があればフリーランスで働くことも可能であることを知る。

お金も大事だし、家族との時間も大事。その両方を手に入れることが出来るWeb業界に興味が沸いた。

いてもたってもいられなかったので7か月で退職を決意する。

テニスコーチを辞める時の決断に比べ、この時の決断は早かった。

辞めるのであれば出来るだけ早く環境を変えた方が良いと、前職の経験から学んだからだ。

現在

Web系の小さな会社でサイト構築の仕事をしている。

メンタルも自力で持ち直し、今はwebの技術を一から勉強させてもらいながら働いている。

出来るだけ早く一人前のエンジニアになるために、日々成長していくことのできる今の環境は非常に素晴らしい。

日々成長していきたいと思う。

ブログを通して伝えたいこと

一日の8時間は仕事に費やすのに、仕事に関してこだわっている人って意外と少ないと思っている。

僕からしたら不思議で仕方ないのだけど、今までの自分の過去の経験から、自分の人生は自分で決めたほうが良い理由とか、好きなことを仕事に出来れば、幸せになれるんじゃないのという事を発信していく。

また日本ではあきらめないことや続けることが美徳とされている文化がまだまだ根強く、そのため辛くてもみんなが頑張ってるから、弱音を吐けず、現実に目を背け仕事をしている人も多い。

体を壊してからじゃ遅いし、別に辞めてもいいじゃないかと伝えたい。

何かを辞めると、今まで見えなかった世界が見えると思っている。

僕の場合は今までテニス業界にいたが、IT業界めっちゃおもろいやんってなった。

少し視野を広げればいろいろな生き方が出来るよねって伝えたい。

自分の人生を自分で創っていこう。

ご清聴ありがとうございました。